僕の人生は何度振り返ってみても
よく今まで生きてこれたなぁ
と自分で感心してしまうくらいのストレスの多い人生でした。
これを言葉で表現するのは簡単ではありません。みなさんにどう言ったら伝わるのか未だに考えてしまいます。そのくらい本当に”常に意識が次元の狭間をさまよっている”ような感じでした。
それでも僕と同じように原因不明で生きるのが大変な人はいます。僕の感覚で言えばその人は呼吸をするのも人より大変で、常に気を張っていたり緊張していて、生きているのがやっとのはず。周りからは疎まれるようなイメージがついているけれど、自分では何が悪いのか解らない。そんなジレンマを抱えて日々大変な想いをして学校や会社に行っている事でしょう。
おそらくそのような人は世の中の少数だし、普段みなさんは目にする事がない。そのくらい自信がなく、外に出るのもためらってしまうような状態でいます。僕は身をもってそんな人がいるのを実感しているからここまで言い切れます。
その人たちの分も代弁するように「世の中にはこんな人たちもいる」ということを知ってほしい。
障害のこととは直接は関係ないのかもしれませんが、そんな想いがあるので書いていこうと思います。
この記事は
- 自分に自信が持てない
- 自分は周りが当然にできる事ができない
- しかし、原因が分からずにただ苦しんでいる
このうような人に向けて書いていきたいと思います。
もちろん、僕が今のように自分を表現できるまでになった方法なども載せていますので、同じ悩みを抱えている方は是非参考にしてみてください。
何度も人生の意味を深く考えた
幼少期は常にイライラしていてストレスがすごい状態でした。ちょっと納得がいかないことが起こるとずっとそのことを考えて沼にはまっていた。メンタルが極限を迎えて精神が崩壊しそうになるような感覚も一度や二度じゃありません。
自分は怒りを表に出さずに内側に隠してしまうタイプでした。周りに変なやつ、ヤバいやつ認定されなかったという意味ではまだ良かったし、自分のメンタル敵にはもちろん良くない。だから当時を振り返ってみると、それがいいのか悪かったのかは分かりません。
ただ、当然いい状態でなかったことは確か。
そんな僕の幼少期の状態はなにが原因かというと
- 発達障害による生きづらさ
- 生まれ育った環境
- 食事によるストレス
などがあったかなと思います。本当に今振り返ってみてもよく今まで生きてこれたなと感じます。
これらをひとつずつ解説して振り返っていきます。
発達障害による生きづらさ
僕はASDという発達障害です。詳しくはこちらの記事を
ASDの特性はいろいろありますが、ストレスの原因となっていた特性はASDの特性のひとつである”コミュニケーション障害”の部分が大きかったように思います。
上の記事の『幼少期のエピソード』にも書いていますが、その他にも
- 周りが分かっている事が分からないがそれを言語化(質問)することができない
- 要領が悪い。抜けている
など、コミュニケーションに関係しているであろう言語の能力が同級生より圧倒的に追いついていなくて大変だった記憶があります。
言語に関する脳領域についてはこちらの記事に詳しく(※独自の見解であり、医療的に関係があるかは不明です)
特に小学校の頃はみんな容赦ない言葉を放つのでそのたびに傷ついていました。そして、いつもどうにもできない自分に悔しさを感じていました。
生まれ育った環境
僕の育った家はとても古いアパートでした。父親の転勤で社宅になっていた住まいに家族全員で住んでいたのですが、そのような環境と親とのすれ違いですごくストレスだったのを覚えています。
家でのストレスは主に次の2つです。
- 体の弱さと周りの配慮のなさからくるもの
- 自分だけが感じていた違和感
①体の弱さと周りの配慮のなさからくるもの
僕の体は生まれつきとてもデリケートにできていました。詳しくはこちらの記事を
その中のひとつ『ハウスダストアレルギー』が僕にとってストレスの大きな要因になっています。
実は親が片付けができない人で
アレルギーもあるから片付けて清潔にしてほしい
という旨を伝えても一週間後には元に戻っています。
そのような『言ってもムダ』という状況の中、なんとか自分のスペースを無理やりに作って、そこだけは定期的に掃除をするということを徹底してなんとかアレルギーをしのいでいました。
- 自分の部屋も与えてもらえないほどの間取りのアパート
- 言っても聞かない親
- 自分以外、特にアレルギーがない事
などが要因だったかなと思います。
発達障害は遺伝的な要素もあるため、『片付けられない』と言う特性を持っている親ももしかしたら発達障害だった可能性もあります。だけど、実際はどうあれ訴えても伝わらない悲しさと辛さはとてもストレスになっていました。
親は普段から人の話を聞かないし、社会性不安障害のことを言ったときにもよく解らないという具合。障害の話をしようとしても取り合ってくれなかったりして、そんな意味でのストレスもありました。
僕以外の家族は特にアレルギーなどなく、そのため、他の家族に自分の辛さが伝わらなかった事や自分の部屋がないくらいの暮らしを強いられる辛さ等、たくさん思うところはあります。
これらはどちらが正しいと言うつもりはありませんし、親に感謝していないという事でもないです。
とにかく当時の僕はこのような逃れられない多くのストレスを抱えながら生活しなければなりませんでした。
食事によるストレス
30代前半のタイミングで栄養療法との出会いがあって実践してみた事があります。
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慢性的な疾患や病院で治せないものも改善する食事法-Kaito Blog
あなたは、病院でも「これは付き合っていくしかない」程度に言われてどうにもならなかったというアレルギーや慢性的な不調はありませんか?僕、かいとはどれだけ体が弱かったのかの苦悩とやっと辿り着いた究極の食事 ...
www.asd-ykmr.online
食事については自分が一番変わった部分です。もちろんストレスについても大きな変化がありました。
食事でこんなに変わるんだ…!
と、当時は感動しました。物事を冷静に見れるようになり自分の考えを持って行動したり話せるようになったりと、変な話とても人間的になれました。
自分が何が好きでどうしたいのかも解ってきたので、旅行や服を買うetc…今までしていない事もたくさんしました。
そのような自分で過ごしているとだんだんと
学生の頃の同級生はみんなこんな感覚や刺激を受け取っていたのかも…
という感覚も覚えました。30代になってから中学生くらいの感覚を日常から受け取ってると思うととても新鮮な感じがしていました。
反対にこの年になるまで本来、学生の時に受け取るはずの感覚をほぼ受け取る事なく生きてきたことの悲しさもありました。
”学校は勉強だけを学ぶ場所じゃない”
人生の中で誰かに言われたようなセリフが蘇ってきて、青春時代をムダにして『もったいない』という感覚。『それでもあのときは仕方なかった』という当時も精一杯生きていた自分を思ったりして納得したり難しいものがありました。
とにかく変われたことはいい事です。本当の自分に出会えたのも嬉しかった。
過ぎたことは変わらないので、ここからすべてを取り戻すつもりで頑張っていこうと前向きに切り替えて今は落ち着いています。
当時を振り返ってみて
こうやって振り返ってみて気づいたことがあります。
学生の時の僕は周りから見たらかなり変わり者に見えたはずです。
それでも友達として付き合ってくれていた人たちもいました。なので、振り返ってみたらストレスだらけの当時も辛い思い出ばかりじゃなかったりします。
その友達と比べてもおそらくは、頭の中は常に混乱や焦りでいっぱい。なにをするにも上手くいかなかったことが多かったけれど、そんなこと関係なくお互いの家に行ったりどこかへ出かけたり、何かの哀れみでは説明がつかない、純粋な友情の関係として友達と遊んだ楽しい記憶がたくさんあります。
友達がいる、いないの差はとても大きかっただろうなと予想できます。
ストレスが強すぎて、子供ながらに人生の意味を考えたことは何度もあります。それも一度や二度じゃありません。この記事を読み進めてくれるような僕と同じ境遇の人たちなら、少しその感覚も無理がないものと伝わっていたりするんじゃないでしょうか?
もしずっと一人だったらなにか良くない一線を越えていた可能性も充分あり得ます。
だから、その人たちには感謝しかありません。
よくある学校のカースト制度的な損得勘定で付き合っていたのではなく、僕という人間を好きで友達として付き合っていてくれたというのは本当に今でも感謝しているし、いい思い出です。
まとめ:それでも苦しんでいる人は存在する
冒頭にも書きましたが僕くらいの余裕がない人は普段、世の中でそれほど出会うことはないと思われます。
一般的な生活を送っていてそのような人間に出会うパターンとしては
- 学校でクラスに一人はこんな感じでボーッとしていたり自分を表現できない人がいた(またはいる)
- 会社で新しく入ってきた人がまったく仕事が覚えられずに困っている
などでしょうか?
幼少期の僕のように、人に理解されないレベルの強いストレスを抱えながら生きている人は、少数ですが必ず存在します。
決してイメージがよくないのにレアケースだからこそ、その人と関わることになったらみなさんは
どうしよう。ついてないなぁ…
と言う感覚を持つのかなと思います。
僕もそう思われる側の人間だったのでこれは辛い現実ですが、実際はどうしていいのか分からない現状があるでしょう。その人は特に障害などを持っているとしてそこにいる訳ではないからです。
分かっていればその人が利用するための施設があったり専門スタッフがつきますが、本人がその自覚がなく何も問題がないものということで生活しているなら、なかなかそのように言ってあげる事もできません。
これを解決するのは『世の中全体がもっと障害などへの理解が深まり、多様性のある世界になる』という他ないと思っています。
障害には直接関係なくてもいろんな人がいるという世の中の認識が、当事者の家族などがいち早く気づいてその人がいるべき場所へ誘ってあげる事ができます。
僕も幼少期から発達障害ということが分かっていたら…と考える事が何度もあります。
このストレスが発達障害が原因ではなかったとしてももっと自分のペースで人生を歩んでいけたのではないか、こんな苦しく遠回りする事もなかったのかもとか、さまざまな可能性を考えます。
発達障害者支援法が施行されたのが2005年。僕は成人していた年になります。そこから世の中の認知がちょっとずつ浸透していって実際に僕が発達障害だと分かるのは30代でした。
まだまだ自分が苦しい理由に気づいていない人はたくさんいるはずです。そのために周りの人もできることはあります。
感覚は分からなくて当然。少しでもこういう人がいると知識を持っていただけるだけでもたくさんの原因不明で苦しんでいる人が気づく流れを作ってあげられると思います。
無理に病院へ行く事を勧めるなどする必要はありません。でも、そんな人がいるんだと一人でも多くの人に知ってもらえたら、もしかしたら助かる人がいるんだと関心を持ってもらえたら、それは僕の思う多様性のある世界への大きな一歩です。
うちの子はもしかしたら発達障害かも…
など、家族の方や本人に思い当たる節がある人向けにどのような福祉サービスや境保障が利用できるかを紹介しているサイトを載せておきます。
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発達障害の診断について - 発達障害情報のポータルサイト
就職しゅうしょく、職場内しょくばないでの異動いどう、転職てんしょくをきっかけに「もしかすると発達障害はったつしょうがいでは?」と考かんがえ診断しんだんを受うける方かたもいらっしゃいます。診断しんだんを ...
hattatsu.go.jp
僕はまだ友達がいたおかげでついていました。上手く友達も作れずに僕以上に辛い人生を送っている人はきっといるはず。
一人でも多くの苦しんでいる人が正しいサービスを利用して、自分に合った生活を見つけられるように願っています。