ASDにとって会話は必要のないものです。正確には『報告や必要最低限の会話だけ必要』で雑談などは時間のムダと感じる。
それを最近は雑談なども”意味のあるもの”と感じれるようになってきた。日常で必要な会話がなくなるのはなにもASDだけじゃない。
ここではASDである自分がどうして会話が必要だと感じたのかと、発達障害の人以外にとっても忘れがちで、それでいてとても大切な会話というコミュニケーションについて書いていこうと思います。
大切な人との関係の改善や社会で生きづらいと感じている人はぜひ読んでみてください。
会話の必要性を感じないASD
ASDのパターンとして『聞かれたことだけ答える』や『ほとんど問いかけに反応しない』などの特性で分かれていたりします。正確には
- 受動型:他者に対して受動的で、自発的な行動が少ない。
- 積極・奇異型:積極的に関わろうとするが、その方法が奇妙。
- 形式張った型:形式的で儀礼的な態度だが、感情的なつながりが欠如。
- 孤立型:他者との関わりを避け、独自の世界に閉じこもる。
と4つに分類されます。これを会話やコミュニケーションに当てはめると
- 受動型:聞かれたら答えるが自分からは喋ったり人と関わろうとしない
- 積極・奇異型:自分の好きな分野をひたすらしゃべる
- 形式張った型:報告など必要最低限なことだけ喋る
- 孤立型:一人の時間が多く、ほとんどしゃべらない
僕も基本、会話を必要としない人間でした。なんなら雑談をする人に対して時間のムダという見方をしていたくらい、ASDにとって会話は必要のないものです。
若い頃の人との関わり方
学生時代は人との関わりを積極的にしてこなかった。友達がいなかったわけではないけれど、嫌がらせなどされたし、学校の中ではかなり不利な立ち位置だった。
コミュニケーションを取ることで関係性を築いていたらそうはなっていなかったのかなと思います。もちろん100%ではないけれど
仕事だと、僕と同時期か後から入ってきた人同士で関係性ができあがっていき、気づいたら他の人と距離感ができていたり…
どの職場でも気づいたらそんな感じで、それが仕事が続かない原因のひとつでもありました。
”弱さ”と言ったらそれまでだけど、社会人時代は会話の大切さを嫌というほど思い知った期間になりました。
そんなことを経てもちゃんと人と関わることができない。根底では
だれと話したり仲良くなったりするのはこっちの自由でしょ
という考えがあった。
それは間違いではないけれど、例えばその職場の上司や先輩に対しての礼儀みたいなものはあるだろうし、何か意見を言うときの前置きや相手への配慮なんかも必要。
ASDはそこも抜けてしまいがちで『本当に必要なこと』だけを言うので周りから見たら「人としてどうなんだろう…」という目で見られていたのかもしれません。
ASDが社会で不利になる要因
そんな負い目を感じながらどうにもできなかった。大人になってからも
どうして周りがしているように気を使ったり配慮するセリフがでないのか…
ってずっと悩んでいました。自分が納得していなくても社会で必要なことなら形だけでも取り繕わないと…。そんな想いはあれど周りのようにできなくてもどかしかった。
そんな原因を僕なりに考えてみました。
言語に関する脳領域
これからお話しすることは科学的根拠に基づいた事実ではありません。あくまで参考程度に読んでいただければと思います。
僕なりに幼少期にこれらの脳領域を鍛えられていなかったのが原因ではないかという考察をしたことがあります。
知力空間
- 言葉を理解するための脳領域「ウェルニッケ野」
- 言葉を話すための脳領域「ブローカ野」
- 言語領域の発達に不可欠で大きな影響のある遺伝子「FOXP2」
これらは『人が言葉をしゃべったり理解したりするのに関係する脳領域や遺伝子』です。
1⃣と2⃣は幼少期どれだけ言葉を発しているかが関わってきそう。実際、思い返してみても言葉を理解したり話す機会は他の人より少なかった気がします。
3⃣の「FOXP2」という遺伝子に関しては先天性の発達障害であるASDと関わりがありそうです。
どれも、どれだけ関係があったかは分からないけど、「もし幼少期にもっと喋っていたらなぁ」なんて考え悩みながら20代は生きていました。
会話の意識を変えた出来事
ここからは僕の『会話への意識』を変えたいくつかの出来事を紹介していきます。
人生のキーポイントでもある大事な部分です。きっと会話の重要性について同じ悩みを持っている人にも役に立つ情報があるはず
食事を変えてからの価値観の変化
ひとつ目はは食事を変えたこと。詳しくはこちらの記事に
食事を変えて余裕ができてきてからは人と話すことが楽になっていきました。会話中も考えながらしゃべることができ
この人はこういう目的で喋っているんだな
とか
ここでは誤解されないようにこんな配慮、前置きが必要
など、周りが自然としていたひとつひとつのセリフや言い回しに納得していく自分がいました。
そうなってくるとムダだと思っていた雑談にも意味ができて、葛藤が消えて、周りの人がする行動も意味が分かるようになってきていたし、しばらくすると会話をすることに対しても抵抗感がほとんどなくなっていました。
結局、余裕がないからこそ「考えること」「納得すること」ができずに変な葛藤があったのかは分からないけれど、自分にとってとても大きい、そして良い変化でした。
たかが食事と思うかもしれませんが、少なくとも僕にとっては人生の中でとても大きなキーポイントとなる出来事ですす。
ある人との出会い
人生でプライベートの時間の使い方が劇的に変わる出来事が起きた。それは、人生で初めての彼女ができたこと。
恥ずかしい話、この年まで恋愛をしたことがなくて、ほとんどプライベートは一人の時間をすごしていました。HSPの特性を持っていると一人の時間はすごく大事。そして、ASDは一人でもやることを充実させらる。
そんな感じでずっと過ごしてきたので彼女ができたことは僕の時間の使い方を大きく変えた。
”恋人だから”という基準
彼女ができてそれまでと生活がどう変わったのかを通院する日を例に比較してみると
一日の流れ | 付き合う前 | 付き合った後 |
---|---|---|
お昼頃 | 病院へ行く | 病院へ行く |
15時 | 買い物をする | 彼女とお茶をする |
17時 | 帰宅して夕飯までブログ作業 | 買い物をする |
18時~ | 夕飯の支度、夕飯、片付け | |
20時 | お風呂 | 帰宅、夕飯 |
22時 | ブログ作業 | お風呂 |
翌1~2時 | 就寝 | 就寝(彼女と通話) |
こんな感じ。家から病院まで1時間離れていることもあり、彼女と会った後は休憩しながら帰る。それもあって通院の日はブログ作業の時間がなくなっていた。
他にも通院する日以外でもデートしたり、夜に電話したりで気づいたら大幅に作業時間は減っていました。
これではいけないと思い、話し合いをして今はだいぶ落ち着いています。だけど、正直一緒にいる時間は楽しかったし、向こうも自分と会っていたいと思ってくれるのも嬉しかった。だからこそ初めの方は変に頑張ってしまっていたのかもしれない。
会話に費やす体力と時間
ここでキーになってくるのはやはり会話。人と会っていれば関係性がどうあれ会話したい。大切な人なら尚更。
気を使うほとではないけれど会っているときは楽しい時間にしたい。だから、積極的に喋って好きな人との時間をいいものにしたい。
今まで誰とも付き合ってこなかった人生だからこそ余計にそう思ったのかもしれない。
だけど、今まで一人だった人間が急に人と関わる時間が増えたことで体力が追いつかなかった。
トレーニングはしていたけれど、やっぱり人に使うものとそれは別物。どうにも立て直せずにぐったりすることが多く、どうしてもブログがおろそかになってしまっていました。
経験から学んだこと
これを読んでいる人には理解できない悩みに映るかも知れません。でも、実際ASDの僕には余裕がなかった。相手の女性と距離をとりたいと悩んだことも1回や2回ではないし。
それでも冷静になってみると”誰かといるからできること”をたくさん相手の女性からもらっていることに気づいた。
- 異性に対するコンプレックスをなくしてくれたこと
- 本来、ASDには機会がない会話能力を鍛える場をくれたこと
挙げれてないけどこのほかにもたくさんある。彼女に時間を使うことを選んで良かった。彼女からはたくさんのことを学んだ気がします。
やっぱり一緒にいる時間は楽しいし、恋人じゃなくてもそうやって人は関係性を築いていく。ASDだから気づいていなかったけれど本来、社会人ならコミュニケーションに使う時間はこれくらいでも普通なのかもしれない。
それでもやるべきことはやってこそ一人前…よくわからないけど、大人ってそんな感じなのかなって
確実に会話に対する自信は以前よりついた。なんなら自信のより上のナチュラルなものに昇華できている気もします。
まとめ:人が会話をする意味
食事を変えたり、恋人ができることでいろんな自信がついた。これらの経験は今後、人に対してどんどん使っていける武器になる。
会話の大切さを知ったし、『会話は時間のムダ』と思っていた自分の価値観は完全に変わっていました。
ASDにとって会話は当たり前のことではありません。ここまで自信がついても未だにかなりのエネルギーを使って喋っています。それでも会話は大切なんだなと感じる。
コミュニケーションや会話は学歴や頭の良さを超えた、どの時代でもどの国でも生きていてるパワーを持っていると思います。
発達障害じゃなくても会話が日常でなくなってしまう例はあるでしょう。例えば…
- 思春期の子供がいる家庭
- 仕事で疲れて家に帰ってからのパートナーとの会話
- マンネリ化した夫婦やカップル
どれも日常的に起こりえることです。なんならそんな状況の方が多いのかも知れません。
そんな人はこの記事を読んで何かを感じとって貰えたらなと思います。会話してこなかったASDだからこそ普通は気づかない部分を出せているという自負もあります。
マンネリ化した状態を打破するきっかけとしてのメンタルの持ち方を書いた記事もあるのでよかったらそちらも読んでみてください。